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Author:KiyoBCL
いらっしゃいませ!! どうぞゆっくりしていってください♪
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| ●ここはKiyoBCLが不定期に更新しているブログです |
| ●音楽(特にアカペラ)、カクテル、言の葉について、まったり書いてます. 日記も少々. |
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| 祈り |
今日は時間がある。 整理しながらゆっくり書いていきましょうかね……
願い事を叶えたい 小さな小さな願い事
それは僕には大きな大きな願い事 今の僕にはまだ叶わない願い事
そして僕のせいで叶わない願い事 シナリオは先ばっかり書いてあって 願い事が叶う瞬間を記してない
こんなの嫌だ こんなの嫌だと思っても なにもしない自分が結局悪い
どこまでいってもまっさらの 淡い未来を想うだけ どこまでいっても現実の 栄えない時間を過ごすだけ
早く変えたい 早く叶えたい 現実を彩る願い事 早く動け 早く動き出せ 鈍重なこの意識
放り出して手に抱えて 想ったところに届くように 押し出せ、想い 届け、願い事
淡い夢を見るだけなら もう何夜も過ごしたのだから……
文面で、どんなに大きなことを書けていても 声の力っていう偉大さには叶わない気がするんです。 その情報量はこうして字で算出するのに、 いったいいどれほどの時間と文章量を必要とするか。
僕はいろんな意味で、今日はとても、 未熟に感じたのです。
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| 運命 |
“運命”というものがあるというのなら、 それはどっからどこまでなんでしょうかね?
誰かに会うことも“運命”で決まってて、 そして付き合うことや、 すれ違うことさえ“運命”で決まっているとしたら、 そんな理不尽なことはないと思う。 でも、世の中は自分がこうなりたいと思ったことを、 時には残酷に破り捨て、 時には願いどおりに、至福の状態へと導く。
だから、どこまでが“運命”なのかを突き詰めようとするなんていうほど、 無意味な詮索は、実はないかもしれない。 だから、人によっては運命を“エピソード”単位でとらえたり、 “人生”単位でとらえたりして、納得する。
ある意味、みんな“運命”を受け容れているのかもしれませんね。
とりあえず、“運命”をエピソード単位でとらえてる人には、こんな言葉が一番向いている気がします。
>単品運命一つひとつをうまいことリンクさせられた人が幸せになれる
これ、僕のマイミクしてる人のコメントなんですけど、 味があるなぁって思います。 きっと、“運命”をエピソード単位でとらえてる人って、 例えば「出会えたこと」と「その人と付き合う」ことを、 一つずつの“運命”ってとらえるから、 それをリンクさせるための自分の努力、 “運命”を叶えるための努力が苦にならないと思うんです。
…じゃあオマエはどうなのかっていうと、 僕は今、頑張ってることも、そのあと出るであろうその結果も、 全てひっくるめて“運命”ととらえてるわけです。 だからって、達観して手を緩める、なんてことはしません。 努力することもきっと“運命”のうちだから、 ここで頑張ることが、 あとで“運命”として振り返ることになる、 “僕の人生”というなが〜〜〜〜いものの一行動になるんやなぁって、 そう思ってるから、手は止めません。
まぁ、毎日自分の行動を全部“運命”だなんて考えてたら、 何をするにしても奥手になるのでそんな意識はしていませんが。
悪い状態を良くしようと努力しているとき、 人は「“運命”に抗う」なんて言ったりしますけど、 実は「何かを諦めること」が“運命”に抗ってるんじゃないかなぁ、 最後にそんな気持ちが胸をよぎりました。
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| ひたむき |
漢字で書くと、“直向”って書くそうです。 僕としてはこの書き表しかたは全く好きになれませんね。 断然、ひらがなのほうが好きです。
さて、誰かの“ひたむき”な姿を見ていると、 その人がすごくかっこよく見えることがよくあると思うんです。
自由に―楽しいからとかで―そうしている人もいれば、 何かに縛り付けられて―将来の為とかで―そうなっている人もいます。 あるいは好きな人にどうしても振り向いて欲しくて、 でもやり方を知っているわけでもなくて、 とにかく思いつくことをぶつけていく。そんな人もいるはずです。
どの場合でも、今、自分のやっていることが 少しでも良い方向に向くように、 自分の中で思い描いているイメージが 少しでも近づくように、
「野心」といえば聞こえは悪いけど、 「夢」というには凡俗的かもしれない、 叶って欲しい「願い事」ですよね。
その頑張る姿………、 いや、きっと一番変わっているのは、視線なのかも。
“ひたむきな目”
希望に満ちた目をしてる人もいるけど、 ほとんどのその目は、
―うまくいきますように……―
って訴えるような、意志の強い目をしてる。 そんなとこに人は惹かれているのかもしれませんね……
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| 表裏 |
他人(ひと)から楽しいと思えることが、 自分には実はとても苦しいことだったり……
他人(ひと)から大変だと思われることが、 自分には苦もなく楽しいことだったりする。
周りの目を気にするとか、そういうことじゃなくて、 それはやっぱり、得手不得手っていうものなんだろうか…?
多くの人ができてしまうことができない自分。 ほとんどの人ができないことをやってのける自分。 一方では弱くて、一方では強い力を持って、 どっちが本当の自分か、無理に探そうとして混乱する。
表裏一体である自分を、どうして分けて考えようとするんかなぁ? 自分が接する世界はそれぞれに別々の「能力」が求められて、 その尺度で判断される自分は、常にそれぞれ別々の、 「能力」という視点で見られることになるのに………
う〜ん、まだまだ弱いのだねぇ、僕は。 ま、でも足掻くのだよ、結局は。 たぶん、足掻くほどに僕の中の表裏は、 より深く、遠いものになっていくけど、 それでもまだ、耐えられるのだから………
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| 一言じゃなくて |
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ミクシィやってから、随分と書かなくなってしまいました。 せっかく有るのに勿体無い!! っちゅうわけで、ある程度属性を分けることにしました。 こっちは日々のバンド練習や言の葉に関する「感動」、 まぁある意味お堅い話なんかを書くことにします。 少々ドラマチック&ロマンチックなゆえに、 青臭い文体がいくつか出てくると思いますので、 我慢できる方のみどうぞm(_ _)m ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今まで、いくつか単語としての言の葉を書いてきたんですけど、 文としてぐっとくるときもあるかと思います。
たまたま、バンドで、ドリカムの「うれしいたのしい大好き」をアレンジする機会があって、そのときに僕は英語版のちょっとメロウな感じが好きだったのでそっちを参考にしたんですが、この前初めて歌詞を見てみたんです。
My love for you Could it be deja vu? Cos I've never felt like this before …
それで日本語で歌われていた歌詞と比べると、当然日本語からはその意味しか読み取れないんですね。そこには語呂っていう制約があって、そのために全てを出し切れていないようなそんな気がしました。
上の英語の歌詞は、語呂を合わせた所はあると思うんですけど、でも、日本語訳は、聴いた人間が適当にできるので、かなり詩的な作業になってきます。それで訳してみて思ったんですけど、英語版はなんて素直な歌詞なのかなぁと思ったことと、それから心に響いてくるなぁってことでした。
<日本語版> 初めて会ったときから 違うもの感じてた 自分の中の何かが心を突いていた……
<英語版(勝手に日本語訳)> 私があなたに抱いた恋心って前にもあったことって言えるかな? だってこんな気持ち、今まで感じたことなかったんだもの……
日本語に訳したときに、訳した人間は自分にその感情が染み込むように、言葉を工夫するんですかね? 意訳、それは例え文法的なことを無視してでも、その文が表す気持ちや意味を表現することに重点を置く方法ですけど、でも相手の心に響かせるように訳すのってすごく大変な作業ですよね。 この曲はそれがスムーズに浮かんできたような気がするんです。 本当に素直な気持ちでこれを書いたのかなぁって思えるような。
勝手にイメージ膨らませたのかもしれませんけど、でも恋って複雑なときもありながら、その気持ちを打ち明けるときって、案外、素直な、すごく簡単な言葉で済むってことがある。 相手が好きなことを一人確認するときって、こんなふわぁっとするような言葉が一番向いてるのかも知れませんね。
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